パンケーキがAPEXに。「我シェアする、ゆえに我あり」―SNSと私らしさ
APEXコロナ禍が「パンケーキとInstagram」を「ゲームとYoutube」に。『我シェアする、ゆえに我あり』この言葉からシェアと自我同一性(アイデンティティ)について考えます。
こんにちは、にどねゆうきです。
昨日の記事
「言文一致から絵文一致へ SNSにおけるビジュアルコミュニケーション」では、ビジュアルコミュニケーションが従来のリテラルコミュニケーション(文字によるコミュニケーション)と比べてどのような優位性があり、そしていまこのSNS全盛期に何が起きているかを取り上げました。
ユーザーのニーズとテクノロジーの進歩によって実現した、絵文字(Emoji)や画像、動画などによる「ビジュアルコミュニケーション」。
この登場によって々のコミュニケーションがより豊かになるとともに、
何かを発信するという敷居が大きく下がりました。
その結果私たちが出来るようになったのが「シェア」すること。
短歌を詠んだり油絵を描いたりすることなく、私たちはボタンひとつで色んなものを発信できるようになりました。今回の記事では
SNSの肝である「シェア」について考えてみたいと思います。
本日も引き続き、天野彬先生の
「#シェアしたがる心理」を読んでいきます。
- コロナ禍が「パンケーキとInstagram」を「ゲームとYoutube」に
内容に入る前に、
にどね論をお話させてください。
前回の記事で紹介したように、本書は2017年の書籍です。
当然、現在の世の中を襲っているコロナ禍を踏まえたものになっておらず、SNSとして意識されているのは
Facebook,Instagram,Snapchat,Snow,Twitter,あたりが中心になります。
なおこれはにどねの勝手な説です。
天野先生は令和は
パンケーキがAPEXになるとか、
ナイトプールがキングスキャニオンになるとか一切おっしゃってませんので、絶対に外でしゃべらないでくださいね!
マッドマギーの着ボイスが電車で流れるぐらい
大恥かきますからね。キアカハ。
- 我シェアする、ゆえに我あり。I share, therefore I am.
それでは標題の件について読んでいきます。
シェアという問題について考える時、心理学者のシェリー・タークルの研究はマストで踏まえておかなければならないものの一つだ。
(略)
2012年に彼女がTEDというカンファレンスで「つながっていても孤独?」と題したスピーチを行ったとき、このような印象的なフレーズで現代の若者を中心としたSNSヘビーユーザーの心理を言いあらわしたのだった。
I share, therefore I am.
(我シェアする、ゆえに我あり)
この言い回しは、17世紀の哲学者デカルトが述べた「我思う、ゆえに我あり」という名言のもじりとなっている。
デカルトは、あらゆる懐疑を重ねていったとしても、疑っても疑いきれない存在として最後には思考する主体としての自分だけは確かに残ることをこの箴言(にどね注:しんげん…教訓の意をもつ短い句。戒めとなる言葉)によって言いあらわそうとした。
主体の主体たりうる要件は、私たち一人ひとりの「考える」という行為のうちに宿るのだと。
転じて、シェリー・タークルは、現代人はシェアすることによって自分がかたちづくられるということを主張している。
ここでは、主体を確定する要件は、何を考えるかということではなく、何をシェアしているのかによるのだと指摘されているのだ。
どんなポストのログが蓄積されているのか、
それによってユーザーはその人らしさを獲得し、
再帰的にその在り方を確認するようになっているこ
とを示す。(p71-72,天野,宣伝会議,2017)
デカルトの言葉を使うことで、まさに現代人を見事に言いあらわした一言かと思います。
「我シェアする、ゆえに我あり」。
このイメージを持つために、まずは自分ではなく「周り」のことを振り返ってみましょう。
コロナ禍でステイホームばかりになり、私は出社の機会が月に1度ほどになりました。
また、友人にもほとんど会うことが出来ていません。
実際の同僚や友人に会う時間よりも、
はるかにSNS上の同僚や友人に会う時間のほうが長いのです。

まじめな方が多いゲーム好きの方々だからこそ「これで良いのだろうか」と悩むこともあるかもしれません。
しかしながら、本書で述べられているようにビジュアルコミュニケーションの進化によって、
私たちは強い発信力を得、人類のコミュニケーション力は拡大したのです。
ゲームに限らず、私たちの毎日は「SNSでのシェア」とは切り離せないものとなりました。
それを嘆く方もいらっしゃるかと思います。
しかし、シンプルにいえばシェアとは社会における交流です。
人間は社会の中で生きる生き物です。社会性こそが人類を今日まで進化させてきました。
ビジュアルコミュニケーションの進化によっていま起きている変化は、
あなたのせいではなく人類全体で起きていることなのです。
私たちは、急速な変化が進む未来の中を今日も生きているのではないでしょうか。
急激な変化のなか、従来の価値観とそれがぶつかり「こうあるべきではないか」と悩むこともあるのではないかと思います。
しかしながら誰の意図でもなく、
世の中はただただ実際に変わっているのです。
こうした変化に飛び込み、思い切り楽しんでみることこそ、私たちの人生を豊かにしてくれるのかもしれないと、私はそう思います。