こんにちは、にどねゆうきです。
突然ですが、皆さま「キリ番」をご存知でしょうか。
これは「キリのいい番号」の略です。
個人ホームページ全盛期の文化ですが、私のPCとの思い出と共に振り返っていきたいと思います。
私年齢はアラサーなのですが、わりとPCとデジタルモノに恵まれた環境で育ってきまして、
今から25年ぐらい前のWindows95の発売とともにインターネットを始めました(当時未就学児)。
この話は、前に書いた「FMVエアホッケー」の時代(Win98SEぐらい)よりさらに5年ほど前なので同世代の方にもあまりなじみのない部分かもしれません。このあとの小学校のパソコンの授業がまだMS-DOSでした。
「ダイアルアップ」、すなわち普通の電話回線でインターネットをしていた時代ですね。
うちはISDNを契約していなかったので、インターネットをしている時間の間は電話が出来ず、あんまり長くはやらせて貰えなかったものです。
そのため、PCを使ってすることはインターネットがメインではなく、
オフラインでマインスイーパやホバーなどのマイクロソフトのゲーム、
アリーナなどのFMVバンドルゲーム、
ライオンキングなどのパソコンソフトをやっていることが多かったです。
当時は2ちゃんねるもまだ無く(99年開設)、96年・97年ぐらいに始まったサンリオ×NTTの「magnet(マグネット)」というWEBサービスをメインに遊んでいました。
さすがに小学1年生ぐらいですとPrintscreenを使いこなす発想がなかったので当時の資料がほぼなく、
Eスクエア・プロジェクトのWEBサイトからお借りさせて頂いたものですとこちらです。
当時はFlashもまだ無かったので、同じマクロメディア(現アドビ)の「ショックウェーブ」というプラグインを使ってのゲームが遊べたり、チャットなどのコミュニティ機能があったのがこのマグネットでした。
懐かしのマクロメディアのロゴ...見るとしんみりします。
今とは比べ物にならない低速ですが、それでも「常時接続」ということでいちいちお金がかからなくなり大幅にインターネットへの敷居が低くなりました。
個人的にはWindows98~Me~XPあたりがWindowsによるインターネットが大いに盛り上がった時代だと思っています。
2000年前後、一部界隈では2ちゃんねるが大いに盛り上がっていたのですが同時に起きてしまったのが「ネオ麦茶によるバスジャック事件」。
ここで『うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい』という今に通ずる素晴らしいひろゆき氏の名言も生まれましたが、当時キッズだった現アラサーの我々は、親や学校からくれぐれも2ちゃんねるは使わないようにというご指導を頂くことになりました。
もともと2ちゃんねるには「半年ROMれ」という空気感があり、あまり積極的に書き込みなどはしていなかったのですが、
(※ROM:Read Only Member…よって読むだけにしとけ、という意味。
当時は個人HPにCGIチャットというものがよく設置されていて、そこで入室したけど喋らないという状態のときに『ROMります』といったやり取りがあるなどわりと一般的な言葉だったと記憶しています)
とにかく当時身近な大人たちは2ちゃんねるをテロ組織のような扱いをしていたと記憶しています。
そしてそれと反対にわりと奨励されていたのが「個人ホームページ」を立ち上げて交流することでした。WEBサイトではなく、当時はわりとホームページという言葉が使われていました。略してホムペ。
いくつもWEBサイトを作った記憶がありますが、一番最初に作ったものは小学生のとき。遊戯王カードか何かについてのページで、契約していたプロバイダのサービスで作った覚えがあります。
HTMLタグ辞典というぶ厚い本を買って、メモ帳に手打ちで作っていました。
フレームタグやテーブルタグなど、今のスマホページにおいてはまったくと言っていいほど使わない技術ばかり身につけてしまいましたが、今の仕事でも使うようなプログラミング的なものの考え方はこのときに身につけた気がします。あとRPGツクール2000。
例えば「相互リンク」。
今のようなSEO対策としての相互リンクではなく(そもそも当時もまだまだYahoo!のディレクトリ型検索が主流)、
当時はそれぞれのホームページが「リンク」で繋がっていて、アクセス導線を作るために各サイトが「リンク集」を作り、お互いに相互リンクを張って成長していくことが一般的でした。あとは掲示板とかで交流して来てもらう。
Yahoo!ジオシティーズのサイトなどは「番地」があったりして流入が多かったので、ジオシティーズのサイトと相互リンクになることはメリットが大きかったと記憶しています。容量が12MBぐらいだった気がするので私は使いませんでしたが。
他にも参加型の「ランダムリンク集」というものもあり、とにかく「つながる」ことが個人ホムペにおける一つの醍醐味だったと思います。それぞれのホムペが家みたいなものだったので、遊びに来てくれるのが嬉しかったんですよね。
当時は「このサイトはリンクフリーです」という謎の表記が散見されていました。
勝手にリンクを張るのは失礼という風潮もあったんですね。世界中からアクセスできるインターネットにアップロードしておいて何を言っているんだという状況ですが、当時はそういう空気感があったのです。もちろん私も書いていました。
あとはSorry, This page is Japanese Only.
世界中から人が来ることを想像し、たぶん日本語だけでごめんなみたいな意味で書いたと思うのですが、非常に排他的な英語にも見えて怖いです。
そんなこんなで、新規流入の柱となるルールが「相互リンク」だとすると、リピートアクセスの柱となるルール(なのか?)が「キリ番」でした。
なんかもう解説ページがあるのが逆に泣けてきますが、2chで言うと「2ゲット」「1000ゲット」に近い感覚だと思います。違うか。
要するに「7777」みたいなキリのいい番号を踏んだら、そのホムペの掲示板(というのがあった)で管理人さん(サイト運営してる人)に報告するという習わしがあったのですね。
改めて書くと全く意味が分からないですね。
とくに個人サイト全盛期はアニメやゲームなどの「イラストサイト」が人気でして、キリ番を踏んだ人が「キリリク」と言って好きなイラストを描いてもらうという習わしもありました。
前置きが非常に長くなりましたが、そんな懐かしのアクセスカウンターを設置しましたので楽しんで頂けましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
(これ数取器っていうんだ)
突然ですが、皆さま「キリ番」をご存知でしょうか。
これは「キリのいい番号」の略です。
個人ホームページ全盛期の文化ですが、私のPCとの思い出と共に振り返っていきたいと思います。
- Windows95の思い出:オフラインゲーム&サンリオ magnet(マグネット)
私年齢はアラサーなのですが、わりとPCとデジタルモノに恵まれた環境で育ってきまして、
今から25年ぐらい前のWindows95の発売とともにインターネットを始めました(当時未就学児)。
この話は、前に書いた「FMVエアホッケー」の時代(Win98SEぐらい)よりさらに5年ほど前なので同世代の方にもあまりなじみのない部分かもしれません。このあとの小学校のパソコンの授業がまだMS-DOSでした。
「ダイアルアップ」、すなわち普通の電話回線でインターネットをしていた時代ですね。
うちはISDNを契約していなかったので、インターネットをしている時間の間は電話が出来ず、あんまり長くはやらせて貰えなかったものです。
そのため、PCを使ってすることはインターネットがメインではなく、
オフラインでマインスイーパやホバーなどのマイクロソフトのゲーム、
アリーナなどのFMVバンドルゲーム、
ライオンキングなどのパソコンソフトをやっていることが多かったです。
当時は2ちゃんねるもまだ無く(99年開設)、96年・97年ぐらいに始まったサンリオ×NTTの「magnet(マグネット)」というWEBサービスをメインに遊んでいました。
さすがに小学1年生ぐらいですとPrintscreenを使いこなす発想がなかったので当時の資料がほぼなく、
Eスクエア・プロジェクトのWEBサイトからお借りさせて頂いたものですとこちらです。
当時はFlashもまだ無かったので、同じマクロメディア(現アドビ)の「ショックウェーブ」というプラグインを使ってのゲームが遊べたり、チャットなどのコミュニティ機能があったのがこのマグネットでした。
懐かしのマクロメディアのロゴ...見るとしんみりします。
- Windows98の思い出:2ちゃんねるは危ないという風潮
今とは比べ物にならない低速ですが、それでも「常時接続」ということでいちいちお金がかからなくなり大幅にインターネットへの敷居が低くなりました。
個人的にはWindows98~Me~XPあたりがWindowsによるインターネットが大いに盛り上がった時代だと思っています。
2000年前後、一部界隈では2ちゃんねるが大いに盛り上がっていたのですが同時に起きてしまったのが「ネオ麦茶によるバスジャック事件」。
ここで『うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい』という今に通ずる素晴らしいひろゆき氏の名言も生まれましたが、当時キッズだった現アラサーの我々は、親や学校からくれぐれも2ちゃんねるは使わないようにというご指導を頂くことになりました。
もともと2ちゃんねるには「半年ROMれ」という空気感があり、あまり積極的に書き込みなどはしていなかったのですが、
(※ROM:Read Only Member…よって読むだけにしとけ、という意味。
当時は個人HPにCGIチャットというものがよく設置されていて、そこで入室したけど喋らないという状態のときに『ROMります』といったやり取りがあるなどわりと一般的な言葉だったと記憶しています)
とにかく当時身近な大人たちは2ちゃんねるをテロ組織のような扱いをしていたと記憶しています。
- Windows98の思い出:個人ホームページの全盛期
そしてそれと反対にわりと奨励されていたのが「個人ホームページ」を立ち上げて交流することでした。WEBサイトではなく、当時はわりとホームページという言葉が使われていました。略してホムペ。
いくつもWEBサイトを作った記憶がありますが、一番最初に作ったものは小学生のとき。遊戯王カードか何かについてのページで、契約していたプロバイダのサービスで作った覚えがあります。
HTMLタグ辞典というぶ厚い本を買って、メモ帳に手打ちで作っていました。
フレームタグやテーブルタグなど、今のスマホページにおいてはまったくと言っていいほど使わない技術ばかり身につけてしまいましたが、今の仕事でも使うようなプログラミング的なものの考え方はこのときに身につけた気がします。あとRPGツクール2000。
- 当時のWEB文化その① 相互リンク
例えば「相互リンク」。
今のようなSEO対策としての相互リンクではなく(そもそも当時もまだまだYahoo!のディレクトリ型検索が主流)、
当時はそれぞれのホームページが「リンク」で繋がっていて、アクセス導線を作るために各サイトが「リンク集」を作り、お互いに相互リンクを張って成長していくことが一般的でした。あとは掲示板とかで交流して来てもらう。
Yahoo!ジオシティーズのサイトなどは「番地」があったりして流入が多かったので、ジオシティーズのサイトと相互リンクになることはメリットが大きかったと記憶しています。容量が12MBぐらいだった気がするので私は使いませんでしたが。
他にも参加型の「ランダムリンク集」というものもあり、とにかく「つながる」ことが個人ホムペにおける一つの醍醐味だったと思います。それぞれのホムペが家みたいなものだったので、遊びに来てくれるのが嬉しかったんですよね。
当時は「このサイトはリンクフリーです」という謎の表記が散見されていました。
勝手にリンクを張るのは失礼という風潮もあったんですね。世界中からアクセスできるインターネットにアップロードしておいて何を言っているんだという状況ですが、当時はそういう空気感があったのです。もちろん私も書いていました。
あとはSorry, This page is Japanese Only.
世界中から人が来ることを想像し、たぶん日本語だけでごめんなみたいな意味で書いたと思うのですが、非常に排他的な英語にも見えて怖いです。
- 当時のWEB文化その② キリ番
そんなこんなで、新規流入の柱となるルールが「相互リンク」だとすると、リピートアクセスの柱となるルール(なのか?)が「キリ番」でした。
なんかもう解説ページがあるのが逆に泣けてきますが、2chで言うと「2ゲット」「1000ゲット」に近い感覚だと思います。違うか。
要するに「7777」みたいなキリのいい番号を踏んだら、そのホムペの掲示板(というのがあった)で管理人さん(サイト運営してる人)に報告するという習わしがあったのですね。
改めて書くと全く意味が分からないですね。
とくに個人サイト全盛期はアニメやゲームなどの「イラストサイト」が人気でして、キリ番を踏んだ人が「キリリク」と言って好きなイラストを描いてもらうという習わしもありました。
前置きが非常に長くなりましたが、そんな懐かしのアクセスカウンターを設置しましたので楽しんで頂けましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
(これ数取器っていうんだ)