子供のころに楽しんだマンガを大人になってから読み返すと、小さなころには気付かなかった新しい発見と深みがありますよね。
先日、ふと『ONE PIECE』の魚人島編を読み返していました。麦わらの一味が新世界へ向かう、大きな節目となったエピソードです。
むしろ、ホーディ・ジョーンズという存在こそ、現代社会が抱える病理、私たちが今まさに直面している“恐ろしさ”そのものを体現しているのではないかと、背筋が凍るような感覚に陥ったのです。
ホーディ・ジョーンズは「からっぽの敵」だった
魚人島編を語る上で欠かせないのが、魚人族と人間の間の根深い差別と憎しみの歴史です。フィッシャー・タイガーは聖地マリージョアを襲撃して奴隷を解放した英雄であり、アーロンは人間の支配から同胞を解放しようとした(その方法は過激極まりないものでしたが)。彼らの人間への憎しみには、直接的な差別や迫害を受けたという、辛く、痛ましい「原体験」がありました。
では、ホーディ・ジョーンズはどうだったのか。
彼は、人間から直接ひどい仕打ちを受けたわけではありません。彼を突き動かしていたのは、上の世代から聞かされた人間の悪行の数々、魚人街という環境に澱むように溜まった憎悪の歴史、ただそれだけでした。
作中でジンベエが語った言葉が、彼の本質を的確に表しています。
そう、ホーディは「からっぽ」なのです。彼の憎しみは、彼自身の経験から生まれたものではなく、受け継がれ、増幅された“思想”としての憎しみです。彼が憎んでいるのは、目の前にいる生身の人間ではなく、「人間」という記号、概念そのものなのです。「ヤツらには何もない!!!」
「人間の手によって 何もされてはおらん!!!」
「環境が生んだ“からっぽの敵”!!!」
現代社会に蔓延する「からっぽの敵」との不気味な類似性
なぜ今、ホーディの存在がこれほど恐ろしく感じられるのか。それは、私たちの周りにも「からっぽの敵」と戦っている人々が、あまりにも増えてしまったからではないでしょうか。
例えば、昨今の世界的な反移民や排外主義的な動き。彼らが憎んでいるのは、実際に隣で働き、生活している個々の外国人なのでしょうか。それとも、ニュースやネット記事で見聞きした「仕事を奪う」「文化を破壊する」という、記号化された“移民”という存在なのでしょうか。
ホーディが、人間との融和を説くオトヒメ王妃を「人間の思想に毒された裏切り者」と断じたように、自分たちの“正義”と異なる意見を持つ同胞を、容赦なく攻撃する姿も、現代のSNSなどで日常的に見られる光景と重なります。
インターネットやSNSは、私たちに多くの知識と繋がりを与えてくれましたが、同時に、自分が見たい情報だけを見て、信じたいことだけを信じられる「エコーチェンバー」という心地よい“壁”も作りました。
その“壁”の中で、特定の属性を持つ人々に対する断片的な悪評やフェイクニュースが繰り返し共有され、増幅されていく。そうして育った憎悪は、もはや個人の体験とは無関係な、「からっぽ」だけれども強固なイデオロギーと化します。
攻撃の対象は、「〇〇人」かもしれないし、「若者」「高齢者」「都会人」「田舎者」、あるいは「リベラル」「保守」といった政治的なラベルかもしれません。いずれにせよ、そこにいるのは生身の人間ではなく、自分たちの正しさを証明するために作り上げられた「からっぽの敵」なのです。
なぜ「からっぽの敵」は恐ろしいのか
ホーディ・ジョーンズは、作中ではルフィに圧倒的な力でねじ伏せられます。しかし、彼の本当の恐ろしさは、その戦闘力ではありません。それは、彼の憎しみに「着地点」がないことです。
アーロンの怒りには、「ナミを服従させる」という一つの着地点がありました。しかし、ホーディの憎しみは、人間を皆殺しにしたとしても、決して消えることはないでしょう。なぜなら、彼のアイデンティティそのものが、「人間を憎むこと」によって成り立っているからです。憎むべき敵がいなくなれば、彼自身が「からっぽ」になってしまう。
だから、対話の余地がない。和解の可能性がない。彼らは、憎むべき敵が存在し続けることを、無意識に望んでいるのかもしれません。
この終わりなき憎悪の連鎖こそが、「からっぽの敵」が持つ本当の恐ろしさなのだと思います。
まとめ:ルフィが示した、あまりにもシンプルな答え
では、この「からっぽの敵」に、私たちはどう向き合えばいいのか。『ONE PIECE』は、主人公ルフィの行動を通して、その答えをシンプルに示してくれています。
ルフィは、ホーディが魚人だろうと人間だろうと、過去にどんな歴史があろうと、一切気にしません。ただ、目の前で自分の友達を傷つけ、涙を流させている「嫌な奴」がいる。だから、ぶっ飛ばす。理由は、それだけです。
彼は、相手を「魚人」や「人間」という大きな主語で見ません。一人ひとりの個人として向き合い、その行動で判断します。
これは、言うは易く行うは難し、ですが、分断が進む現代社会において、私たちが忘れてはならない視点ではないでしょうか。
物語は、時に現実社会を鋭く映し出す鏡となります。『ONE PIECE』という壮大な物語を、ただの冒険活劇としてだけでなく、日ごろ感じるモヤモヤや社会的なテーマと共に読み解いていくと、大人になった今だからこその、新たな発見と学びがあるのかもしれないと感じました。
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