こんにちは、にどねゆうきです。

今回まじめなやつです。
ブログタイトル、ゲームとまじめと時々にどねなんですが、ここ半年ぐらいずっとゲームばっかりしてました。そういうこともあります。

私はふだんは消費財マーケティングの仕事をしています。
まさに今回紹介する本にも書いてあったのですが、私自身も「消費者」であり広告代理店風に言うと「生活者」なので「(消費者心理の理解なんて)出来らあ!」という気分になってしまいがちなのですが、これこそが落とし穴

経験と勘だけで動くのではなく、時には立ち止まってリサーチデータや専門家の見解と向き合い改めて消費者を分析し、そのうえでブランドアクションの方向性を吟味するのは迷走を未然に防ぐためとても重要なことです。

そんなわけで今回紹介させていただく一冊はこちら。
気まぐれ消費者 最高の体験と利便性を探求するデジタル時代の成長戦略

気まぐれ消費者 最高の体験と利便性を探求するデジタル時代の成長戦略」です。
タイトルに惹かれていつものように図書館で借りてきました。ジャケ借りです。

もう5年も前、2017年にアクセンチュア 消費財・サービス業部門のシニアマネジング・ディレクターのテオ・コレイア(Teo Correia)さんが書かれた一冊です。
本書内でも触れられていますが、日本ではデジタルマーケティングの浸透が遅れており、そのぶん2022年の今読むと非常にしっくりくる一冊となっています。


  • 常にスマホを抱えている私たち
こちらの本、どんなところに焦点を合わせて書かれているかというと、一つは「デジタル化した社会」でしょうか。
スマホを日々使う生活者をイメージするといいのかなと思います。

とくにスマートフォンが生活者に与える影響は絶大で、著者はこんな表現を使っています。


今、成人期を迎えつつある消費者はデジタル技術を使いこなし、オンラインで予約・注文・購入・レビューができなかった時代も、そうしたことすべてを小さな光輝くデジタル機器で自由にできなかった時のことさえ思い出せないだろう

さまざまなデジタル技術への依存が進むに従い、インターネットやモバイル端末は、それが提供するサポートやサービスなども含めてつねにそばにいる仲間となり、さらには暮らしのあらゆる面における助言者、友人、コーチ、アシスタント、子守り、メンター、キュレーター(さまざまな情報を収集・整理し、発信する人)となりつつある。
(Teo Correia『気まぐれ消費者』,日経BP社,2007,p27)


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かつて(今もある)携帯電話のヒツジ執事、iコンシェルなんていう機能があったりしました。
まさしく現代におけるスマホは真の意味で私たち生活者の執事となってくれているのです。

もはやスマホがなかった時代が思いだせないほどに変化してしまった私たちの日常。
そんな中で私たちの消費行動はどのように変化しているのか。そしてそんな消費者に向けてどのようなマーケティング活動を行えば良いのか。

それが本書における大きなテーマです。

こうしたデジタル技術の日常化は「気まぐれな消費者」、言い換えれば「液状消費者」を生み出すと著者は述べています。


急速なデジタル技術の進化は、さまざまな消費財製品やその関連サービスに囲まれた気まぐれな消費者を生み出した。

彼らは移り気で、つかみどころがなく、すぐに離れていってしまうかと思えば、知らぬ間に近くにいる。どこからともなく現れ、すぐに消えてしまう彼らは、手からこぼれ落ちてしまうものの確かな実体があり、形を変えながらどんな場所にも臨機応変に入り込む「液体」のような特徴がある。

本書ではこうした新しいタイプの消費者を「液状消費者」と呼びたいと思う。

こうした消費者は、瞬時ともいえる速さで製品の新しい特質やデジタル技術による改良点を受け入れ、それに順応し、期待を高める。
(Teo Correia『気まぐれ消費者』,日経BP社,2007,p25)



  • 常に満たされている私たち
そして「デジタル化した社会」と並んで、この本で焦点が当てられているのが「満たされた生活者」です。
この件は「飽和した消費社会」だとか「もう欲しいものがない」だとか「コモディティ化」だとか「若者の〇〇離れ」だとか様々な表現をされますが、監訳者の関一則さんが前書きで端的に述べられているので引用します。

満たされた社会のなかで当たり前のように得られる欲求に対しては、満足さえ通り越し、無関心化しつつある
(Teo Correia『気まぐれ消費者』,日経BP社,2007,p5)
このような消費者変化は、先進国中心に商品(モノ)の質が非常に安定的で、多くの商品でほとんど差を感じなくなっている点が要因の1つ
(Teo Correia『気まぐれ消費者』,日経BP社,2007,p4)

そんなモノが溢れている、情報が溢れている状況になると消費者はモノを選ぶのが面倒になります


アクセンチュアが毎年実施している世界的な消費者調査の結果をもとに消費者側の価値観に大きな変化が起きつつあり、先進国の消費者における「無関心化」が顕著になってきていることに言及している。

これまでは、情報の質と量の充実により自分が欲しいものを十分に比較・検討できることによって「わがままな消費者」の増加が顕著であったなか、
自分で能動的に比較・検討するのが嫌で、自分が何を欲しいかや自分に何がフィットするかも他人に教えてほしいと考える「無関心な消費者」が増加しているというのだ。
(Teo Correia『気まぐれ消費者』,日経BP社,2007,p3-4)

近年インフルエンサーの影響力は消費者マーケティングの世界において増大の一途を辿っていますが、これは当然「情報の発信者」と「情報の受け手」が居て成り立ちます。

もちろん「私が好きなアイドルの〇〇が使っているから」という古典的インフルエンサーというパターンも大いにあるかと思いますが、近年多いのが何万フォロワーという芸能人みたいな専門インフルエンサーではなく、もっともっと小規模なマイクロインフルエンサー。
もっと言ってしまえばそれは単なる一人の生活者ですし、私みたいな一般人の発信も誰かに影響を与えている可能性があります。

この専門インフルエンサーではない情報発信者は、先ほどの文章から引用すれば「わがままな消費者」の性質を持ちます。すなわち、スペック比較などをきちんとして買うものを吟味する消費者。
そしてもうモノを選ぶのが面倒で、こうした「わがままな消費者」が発信している情報にそのまま乗っかろうというのが「無関心な消費者」というわけですね。

この原因には皮肉にも「モノが安定して高品質化」していることがあり、何を選んでも大失敗がないからこそ「とりあえず誰かが使っているやつで大丈夫だろう」となり、選ぶ気力も失せてくるわけです。私も一人の生活者として「わがままな消費者」になる分野もあれば「無関心な消費者」になる分野もあるので、とても共感出来ます。

こうした無関心さも「気まぐれな消費者」を生み出すことに繋がり、それを本書では「液状消費者」と呼称します。


「デジタル化した社会」と「物質的に満たされた社会」がたどり着いた先に生んだ「無関心」。
マーケティングのための一冊としてはもちろん、自分の日々の生活を客体化して見るために興味深い一冊です。ぜひご一読ください。