• 人間、自分の生きてきた世界以外のことはよく分からない
こんにちは、にどねゆうきです。

私たちはみんなそれぞれの「ふつう」を生きていると思います。

ふつうに近所の小学校に入って、ふつうに中学校へ行って、
ふつうに進学して、ふつうに就職して...

ですがそれはその人にとっての「ふつう」。
ふつうと思っているだけで、実際にはそれぞれが違う道を辿るので、本当は「ふつう」なんてないのです。

自分自身が選んできた道、生きてきた世界のこと以外は人間なかなかよく分かりません。
分からないから、理解できないから自分の「ふつう」以外に攻撃的になる。
Twitterで繰り広げられる、人の持つ排他的な一面には恐ろしさを感じます。

そうした自分とは違う背景の方の気持ちに思いを巡らせ、そしてお互いが生きやすいように尊重することが社会を少しでも良い方向にしていくのではないでしょうか。
少なくとも、私たちの先輩方がそうした思いを積み重ねてきたからこそ、この令和の時代はみんなにとって少しは生きやすくなったのではないかと思います。


  • 学問のすすめから続く「あんまり勉強とか好きじゃない貧しい人たち」への風当たりの厳しさ
こういう「多様性と理解」みたいな話をするとLGBTQの方々などにスポットライトがあたりがちですが、私が個人的にもっと理解がされるべきだと感じているのは「あんまり勉強とか好きじゃない貧しい人たち」だと感じています。

とくに「失うもののない人たち」は「無敵の人」などと呼ばれ、まるで犯罪者予備軍のような扱いをされています。そして自己責任大好きな私たち日本人は「彼らが勉強しなかったから悪い」と一蹴。

もうこの辺りの日本人のメンタリティは少なくとも文明開化までは遡れる根の深いものではないでしょうか。
こういうことを言っている「学問のすすめ」が素晴らしいとされ福沢諭吉先生は1万円札になっています。読んでみましょう。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

されば天より人を生ずるには、
万人は万人みな同じ位にして、
生まれながら貴賤上下の差別なく、
万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、
もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、
貧しきもあり、富めるもあり、
貴人もあり、下人もありて、
その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。

その次第はなはだ明らかなり。
『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。

されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり

また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。

そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、
やすき仕事をする者を身分軽き人という。


すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、
手足を用うる力役はやすし。


ゆえに医者、学者、政府の役人、
または大なる商売をする町人、
あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、
身分重くして貴き者と言うべし。
(学問のすすめ 初編より)

つまり人間は生まれたときには平等なんだけど、実際には平等じゃない。
じゃあなんでかっていうと、人間の上下は勉強したかどうかで決まる。
そして頭使って仕事している人は「身分重き人」で、肉体労働している人は「身分軽き人」だとはっきり言ってます。

もうこれを読む限りでは「勉強してないやつが悪い。上に立ちたかったら勉強しろ」ということが大声で正しいこととして論じられています。
そりゃ学問をすすめる本なのでそう書かずにどうするんだという感じですが。

こうした福沢先生の考え方が受け入れられた日本で資本主義が花開いたのはなんだか分かる気がします。そういえば次の1万円札は日本の資本主義の父、渋沢栄一ですね。

後述しますが、こうした考えはアメリカにも強く存在し、勉強しない人が「身分軽き人」とされたことは一概にルーツであるとはいえません。
しかしながら、成り立ちはともかく現代の世の中において「勉強しなかった人」への風当たりはあまりにも厳しいのではないかと日々感じています。



  • 勉強しない人は本当に自己責任なのか
そもそもこの「勉強しないのは自己責任」という理論を私は少し疑問に思います。

何にだって好き嫌いはあります。例えば私は勉強が好きですが、歌ったり踊ったりするのはとても苦手です。絶望的にリズム感がありません。
「学問のすすめ」の学問が「リズムのすすめ」で“賢人と愚人との区別”がリズム感だったら本当にしんどい人生になっていると思います。

ですが現実に、勉強するのがしんどい方々ってたくさん居るんですね。
これは「境界知能」と呼ばれ、今とても議論が進んでいる分野です。



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35歳となった2000年、初めて病院で検査を受けることを決めました。

そこで告げられたのは、思いもよらない結果でした。
「IQ73 境界レベル」

知能指数(=IQ)が、平均的ではないが、障害でもない「境界知能」だとわかったのです。

(中略)

「境界知能」とは何なのか、もう少し詳しく見ていきます。

知能指数(=IQ)は、一般にIQ85-115が「平均的」とされています。

おおむね70以下は、「知的障害」の可能性が考えられる範囲です。
(※「知的障害」の基準は、自治体によって異なります)

その境い目にあたるのが、「境界知能」と呼ばれる領域です。

その数は、統計学上は人口の約14%、1,700万人に上るとされています。

専門家によりますと、この中には、知能指数とは別の指標で発達障害と認められる人もいるということですが、「境界知能」は「平均的とは言えないが、障害とも言えない」とされることが多いといいます。

このため、その“生きづらさ”に、周囲に気づいてもらうことができないまま、人生を過ごしてきた人が多くいるとみられるということです。
NHKのWEBサイトより)


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『日常生活や勉強、仕事、人間関係などで困難を抱え、
生きづらさを感じているにも関わらず、
教育や福祉の支援を受けられずに社会的な孤立や経済的な困窮に陥り、
罪を犯してしまうケースもあるのではないか。
さらにはうつ病になって自殺をしてしまう、そういった悪循環も起きていないか』
NHKのWEBサイトより)


例えばこうした「境界知能」の方々がなかなかうまく勉強できないのは、本当にこの方々が努力をしていないからでしょうか。
一口に努力といっても、IQ120の人が努力するのと、IQ75の人が努力するのには、ずいぶんとその負担にも差があるように思うのです。


  • 勉強してきた人は勉強していない人に対して厳しい
そしてニュースを見ていると、
「勉強しない人に厳しい」話は日本だけの問題ではないことが分かります。

この記事では「アメリカのエリート」として挙げられていますが、少なからず勉強してきた人は勉強していない人に対して厳しいのです。勉強しない人への風当たりが強い。




 今後のアメリカの課題は、更(さら)に格差を是正し、貧困層の社会的地位を向上させることにある。

しかし、民主党を支えるエリート層は、自由貿易という「一種の“空虚な信仰”」に固執し、現実に存在する格差問題に真剣に取り組まない。

「高学歴エリートは、『人類』という抽象概念を愛しますが、同じ社会で『自由貿易』で苦しんでいる『低学歴の人々』には共感しないのです。彼らは『左派(リベラル)』であるはずなのに、『自分より低学歴の大衆や労働者を嫌う左派』といった語義矛盾の存在になり果てています」

 民主党は黒人差別に反対し、人種問題に積極的に取り組んできた。
そのこと自体は、大いに評価すべき取り組みである。

しかし、トッドの見るところ、アメリカ社会から黒人を疎外しているのは、民主党の政策だという。
自由貿易は、確実に黒人貧困層から職を奪う。
「民主党は、『黒人を擁護する』と言いながら、肝心の経済政策において『黒人マジョリティの利益』を代弁せず、実質的に『アンチ黒人』と化している」と指摘する。




たとえばトランプに比して知的で上品、コロンビア大学とハーバード・ロースクールに学び、いまも膨大な読書量を誇るオバマ元大統領も、批判対象として例外ではない。

とくにオバマは“You can make it if you try.(挑戦し努力すれば、夢は叶う)”という言葉を、演説で何度も繰り返していた。この一見、アメリカンドリームを体現し、人を鼓舞しようとする言葉に、サンデルは批判の矛先を向ける。

オバマは、妻のミシェルが労働階級の生まれから、努力して高等教育を勝ちとった功績の人だと称え、高い学力を得た人間がしかるべき地位につくよう、政策を整えた。

この一見、良い話として疑問を持ちにくい話を、サンデルは、オバマの考え方の背後には才能主義があり、努力によって勝ち得た功績を、本人が独占的に享受して当たり前だとする考え方、つまり学歴差別につながるような、そこに至らなかった人々を排除する構造が潜んでいると指摘する。その舌鋒の鋭さにドキリとする。

例としてオバマ元大統領が挙げられていますが、こうして無意識のうちに「努力された人が評価されるべき」「勉強した人が報われるべき」という価値観をエリートは持ちがちで、
これが「努力をしていない人」を排除し、結果として「無敵の人」を生み出すことに繋がっていきます。


実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル サンデル
早川書房
2021-04-14



  • ストーリーテリング:物語の力で「無敵の人」の背景に思いを巡らせる
現代社会において、高い能力は評価され対価を受け取ることができるので、言ってしまえば学問のすすめの世界を地で行っている感じが続いています。

そうした社会で生きていくために勉学に励んできた人たちにとって、「努力をしたら報われるべき」だけでなく、「努力をしていない人も助けられるべき」だという価値観を持つことは容易ではありません。

しかしながら、そうした「自分の『ふつう』とは違う人への理解」こそが社会をより良いものにしていくことができるのではないかと私は思います。

まずは「無敵の人」がどんな境遇にあるのかに思いを巡らせることによって、少しでも理解に近づくことは出来ないものか。
そのときに「物語の力」、すなわちストーリーテリングの威力を改めて感じたのがこの「蟹工船(小林多喜二)」でした。

プロレタリア文学の名作として知られ社会の教科書にも出てきますが、とくに興味もなく読んでいなかったのですが、たまたま手にとったらこれがなかなか読ませる一冊でした。
とても短いお話で一日でサラッと読んでしまったのですが、世の中には大変な境遇で働いている人がいるということを実感するには十分。
極限状態まで追い込まれたとき、人は「死ぬぐらいなら」と何でもするということが力強い文体で伝わってきたのです。

蟹工船は要するに
「ひどい労働状況の蟹工船(でもここで働くしかない)⇒仲間も死んでいく⇒このままだと俺たちも死ぬからストライキするぞ!⇒失敗しちゃった!⇒でもあきらめないぞ!」という話です。

圧巻なのはストライキを決意する場面。

「俺ア、キット殺されるべよ。」
「ん。でも、どうせ殺されるッって分ったら、その時ア(ストライキを)やるよ。」
芝浦の漁夫が、
「馬鹿!」と横から怒鳴りつけた。
「殺されるッって分ったら?馬鹿ア、何時だ、それア。
――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。
彼奴等はな、上手なんだ。
ピストルは今にもうつように、何時でも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれア「手」なんだ。
――分かるか。彼奴等は、俺達を殺せば、自分等の方で損するんだ。
目的は――本当の目的は、俺達をウンと働かせて、締木にかけて、ギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。
そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。
――どうだ、この滅茶苦茶は。
まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺達の身体が殺されているんだ。」
「んだな!」
(小林多喜二「蟹工船」p122-123,2008,株金曜日)
※二行目カッコ内はにどね注

もう「今殺されてるんでねえか。小刻みによ。」のパワーワード感がハンパない。
蟹工船で働いている人々がいかに追い込まれているかが伝わってきます。

この場面はもうクライマックスなのですが、「小刻みに殺される」というのが一体どれぐらいいともたやすく行われるえげつない行為なのかが延々と本編で語られます。
物語を通して蟹工船でのお仕事を追体験することで彼らの境遇が伝わってくるはず。
ぜひ一読いただきたいなと思います。

人間、いつまでもしんどいままではいられません。
誰かのしんどさで成り立っている社会は、やはり持続可能な社会、SDGsではないとそう思うのです。




(今回紹介した書籍・まんが版等)

現代語訳 学問のすすめ (ちくま新書)
福澤諭吉
筑摩書房
2013-09-13










実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル サンデル
早川書房
2021-04-14


小林多喜二 蟹工船
小林 多喜二
金曜日
2008-07-01





蟹工船 [DVD]
柄本時生
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2010-01-21





蟹工船 (まんがで読破)
バラエティアートワークス
Teamバンミカス
2021-04-05