こんにちは、にどねゆうきです。


宝くじで当てたお金。
競馬や競輪、競艇で勝ったお金。
パチンコやカジノで儲けたお金。



こうしたお金、なぜか手元に残りません。
私もいつかの競馬でフェノーメノの単勝を当て、500円が1万円になった気がするのですが、すぐにどこかにいってしまいました。かなしい...



見事なことわざがありまして、悪銭身につかず

悪いことや賭け事などで儲けたお金は、どんどん使ってしまって結局貯めることができないということ。 あぶく銭。


お金に良いお金も悪いお金もあるかいというところですが、実は浪費してしまう理由がきちんとあるんですね。

今回も橋本先生の本を読みながら、行動経済学で考えていきます。







この「悪銭身に付かず」を理解するために必要なのが「メンタル・アカウンティング」という概念です。


 
ここでは、まず「メンタル・アカウンティング」という言葉の説明から始めたい。

人々が金銭に関する意思決定を行うときには、さまざまな要素や選択肢を総合的に判断して合理的な決定を下すのではなく、比較的狭いフレームを作り、その中で判断を行うと言われている。

このようなフレーミングをメンタル・アカウンティング(心の会計)と呼ぶ。

このバイアスの典型的な例として「ハウスマネー効果」がある。
ハウスマネーとは、ギャンブルで使われる「カジノのお金」のことだ。別名「あぶく銭効果」とも呼ばれる。

ギャンブルなどで得たお金は、普通に働いて得たお金などとは違って、再びギャンブルで浪費されるなど、軽く扱われる傾向がある。(橋本,2014,p52)




「限定合理性」なんて概念もあったりしますが、人は何かを判断するときに世の中全ての情報を下に合理的な判断を下せるわけであはりません。


そのため自分の思考回路に沿って「どうするか」を決めていくわけです。
そして、そこでヤッカイなことにその思考回路には「使うお金の入手方法」が含まれてしまうんですね。なんということでしょう。


メンタル・アカウンティングの考え方で言えば、このようなお金は、「一時的に儲けたトク」というフレームの中にある。

「損失回避」の項で述べたように、同じ金額であっても失うときの心の痛みは、それを得たときの喜びを大きく上回る。

その日に持ってきたお金を、単純にギャンブルでスッてしまったのであれば、それは損失だ。

しかし、その金がギャンブルで儲けた金であった場合には、そのお金は「あぶく銭」というフレームの中にある。もともと得したお金であり、その分がゼロになったとしても、儲ける前から通算すれば、損得ゼロであり、損失の心の痛みはない。(橋本,2014,p52)



アルバイトの月給である10万を持ってギャンブルに参加。
ギャンブル中にさらに20万円プラスになっている状況があったとして、
その20万はアルバイトで稼いだお金の2倍もの金額になるわけです。大金です。


ですが、結局負けてしまい残金が10万になった時点で潮時とリタイア。
「これでプラスマイナスゼロだ」という気持ちにもなりますが、一時的にとはいえ手元に10+20で30万円があったわけです。

それが10万に戻ったということは20万円損失しているわけですが、まあトントンやという気持ちになります。これが恐ろしい


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私も書いていて「プラマイゼロだからよくない?」という気持ちになっているのですが、30万稼げたままで居られるのであれば当然そのほうがいい。アルバイト2ヶ月分儲かっているわけですから。

これがアルバイトを3ヶ月して30万円持った状態では、全く違う心理状況になるはず。

同じ20万円を失うにしても、一生懸命がんばったアルバイトの時間を失っているような気持ちになるはずです。




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こうしていくと「いやそれはギャンブルを始めてからマイナスになっているから・・」みたいな話になりそうですが、それではギャンブル場で突然謎の老人が現れて20万円をもらった場合はどうでしょう。

おそらく「あぶく銭」として「ギャンブルの勝ち負けに通算」してしまうのではないでしょうか。

でもよくよく考えれば、この謎の老人とギャンブルの勝ち負けは別に関係ない話ですよね。

お金の話と入手方法の話は本来分けなきゃいけないのです。
どんな形であっても20万円は20万円ですから。




とはいえ分かっていても「うーん」となってしまうのが怖いところ。

さらにさらに恐ろしいのが、このメンタルアカウンティングが「借金」でも発動するところです。



ここで、ギャンブルで手に入れたお金と、借金で得たお金を比較してみよう。

共通するのは、楽に手に入れたお金だということだ。
自分の労働を代償に手に入れたものではない。

あぶく銭を手に入れたのは、自分の実力を越えた力によるものであり、あぶく銭を浪費するのは、そのバツの悪さを解消するためだ、という考え方もある。

借金の場合も、手に入れたことのバツの悪さは変わらない。
むしろギャンブルの場合よりも、借金のほうがバツの悪さを強く感じるだろう。

これを解消しよう、という気持ちが働くことはあっても不思議はない。

このように楽に手に入れたことと、手に入れる際のバツの悪さにおいて、借金はギャンブルと同様に、一時的に儲けたトクというフレームに入っている可能性がある。

このようにカテゴライズされたお金は、浪費される可能性が高い。(橋本,2014,p53)



バツの悪さ、というのは「そうかも」と思いますね。

その理由はともかく、借金もギャンブル同様に堅実に使うことがとても難しいお金です。


現在価値バイアスで安易に借金をしてしまい、
そしてメンタルアカウンティングで有効に使うことが出来ない。


人類の弱さと借金との相性は最悪です。


「メンタルアカウンティング」頭の中に入れておくと、いつか役に立つときがあるかもしれません。