20年4月の緊急事態宣言。

いわゆる「接触8割減要請」で、都内でも何割かの会社がテレワークを実施。
これまで悩まされてきた『通勤』から都民は解放されました。

すると人間わがままなもので、外に出たくなります

いまこの21年3月も2回目の緊急事態宣言の真っ只中ではありますが、
住宅街の公園も商店街も、大賑わいの日々が続いているようです。


人はなぜ外に出たがるのでしょうか。


  • 「見られるため」に外に出る
そんな“散歩”の目的について、
川北稔先生の『イギリス近代史講義』のなかに興味深い一文があります。


(p61-64) ―そもそも、散歩とは何なのでしょうか

なぜ散歩するのかというと、遊歩道のある、きれいなところに行って何かするということもありますけれども、それだけではないはずです。

(略)われわれ庶民の日常レベルでいうと、にぎやかな商店街に出かけていきたいという気持ちがあります。

学生に「(京都の繁華街)四条河原町になぜ行きたいのか」と聞くと、
「ウィンドー・ショッピング」などという答えがかえってきますが、
そういうところに行くときは、みな化粧をして、着飾っていきます。

それは見られるということを前提にしているわけです。
そして人を見に行く

(略)都会の社交の一部である散歩というのは、見たり、見られたりというするのが大前提で、人を見にいく側面もあるけれど、見られに行く側面もあります

こういう独特の目的をもった社交庭園が成立します。



何かの“目的”を考えるとき、主語は自分だという先入観があります。

文中の四条河原町に行きたい学生は、
まさに「河原町を(私が)見たい」というものの見方をしています。

私も吉祥寺や戸越銀座が人であふれているニュースを目にしたとき、
時間もあるし近場で買い物をしにきたのだろうと考えていました。


実際、訪れた人々はまさに買い物をしに外出しにきているのであって、
それ以上の思いを持ってはいないでしょう。

  • 無意識下の「見られたい」欲求

しかし、そのもとになる原動力、すなわち自分でも意識していない根っこに
「人に見られに行く」という部分がもしかしたらあるのかもしれません。

在宅勤務、在宅生活を乗り切る秘訣としては
『外出をしなくても身なりを整えて、気分を高める(見られている状態と同じ身なりにする)』
『ビデオチャットで対面で人と話す』ことが話題です。

“見せびらかしは自己顕示の一種”ですが、それが都市の文化となり、
人々の感情の奥底に入り込むと、それは生きるために必要なものにすらなってきます。

「見られること」が人々の心の健康にとても大事だという前提に立った場合、
安全にそれを満たすことは、感染症の予防にも繋がります。

すなわちこの国難の時代に、SNSとかオンラインゲームとかというのは、
思いのほか重要な役割を握っているような気もするのです。