こんにちは、にどねゆうきです。
ゴールデンウィークも7日目。見事に連休ボケしています。
きょうも朝6時に目が覚めたのですが、健康的とはいえ昼寝ができる連休だからこそ。
完全に夏休みキッズの体内時計です。
さらに連休状態に拍車をかけたのがYouTubeです。
おとといのPS版遊戯王の記事で書かせて頂いた「なぜかYouTubeの動画がアメリカ人青年男性に何百回も閲覧されている件」以降昨日の夜から、YouTubeにVlog的に動画をアップロードすることがちょっとしたマイブームに。
※おそらく世界トップクラスに中身のないYoutubeチャンネル(基本的にぜんぶ15秒動画です)
その結果、何の気なしにアップロードした「スーパーマリオ64のやみにとけるどうくつで滑り落ちるだけ」の動画が一晩で1,300再生を超えてしまいました。
しかもマリオにちなんでか、なぜか64件の高評価に加えて大量のコメントが。
なんでduckでgooseでSwanなのかまったく意味が分かりません。
Why American people?!
とはいえ、なぜか10人ものチャンネル登録を北米大陸から頂いたので、期待に応えねばと手元にある動画を適当に上げていたらいつの間にか50件を超えていました。上げすぎだよ自分。
そんなことをしているうち、ますます頭がゴールデンウィークになっていったのです。
さて、こんなステータス異常:連休状態では、明日から始まる7連休明けの地獄の2日間を乗り切ることが出来ません。
そんな日は読書をして意識をお仕事の高さへもっていくに限ります。
そんなわけで本日読んだのが「#シェアしたがる心理 #SNSの情報環境を読み解く7つの視点(天野彬 著)」という本です。
この本、タイトルはキャッチ―で文体も読みやすいですが、とても骨太な本です。
出版されたのは2017年ですが全く古さを感じさせません。
トレンドを追うマーケティングの本というよりは、SNSの登場によって変化する人間のコミュニケーションそのもの、認識そのものに着目した本です。
とくにBtoCマーケティングに関わる皆さま、SNSで発信活動を行われている皆さまにはぜひご一読いただきたい書籍です。とても思考の整理を助けてくれると思います。
前書きには、この書籍で論じられる「ビジュアルコミュニケーション」の領域についてこう述べられています。
携帯電話にカメラがついてからは、ずいぶんと長い時間が経ちました。
たしか、アラサーな私の高校社会科の資料集にも、FOMAとカメラ付き携帯電話が「歴史の上での大きな転換点としての技術」として取り上げられていた気がします。すでに歴史と言われる領域になっています。
当時パケホーダイやダブル定額などのプランを駆使しながら、Eメールでの写真のやり取りを経験された方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
その後、“スマホの普及や、それに付随するカメラの技術的スペックの向上、アプリの充実といった情報テクノロジー側の発展と、感覚的で手軽なビジュアル要素を活用しSNSでシェアしたいというユーザーニーズとが相関的に共進化していく構造”(p35,天野,宣伝会議,2017)の中で、写真や映像によるコミュニケーションは発展していきました。
私たちの「これがしたい」であるユーザーニーズと、それを叶えるテクノロジー。
現在のビジュアルコミュニケーションの最盛期はこうした好循環によって確立されています。
そしてこの回り始めた巨大で強固な歯車は不可逆的なものであり、ビジュアルコミュニケーションは短期的には収束しないようなトレンドと考えられています。
すでにスマートフォンだけでなくWindowsPCでも標準で入力が可能になっています。お疑いの方は、「Windowsキー」と「.(ピリオド)」キーを同時に押してみてください。絵文字パレットが開くはずです。
Emojiは携帯電話の登場以前には存在しない文字でした。
現在は世界中で爆発的に普及をしていますが、なぜこのような流行を起こすことができていたかの要因として、次の理由が考えられます。
この仮説にはとても共感します。
比較的文字でのコミュニケーションが行われるSNSであるTwitterやYahoo!ニュースのコメントを見ていても、文章が読めない・書けない人が非常に多い。
文字を読み文章として頭の中で飲み込んで、言わんとすることを論理的に処理するという一連の流れが出来ていない方がこれほどまでにいるものなのかと驚かされます。
しかしながらこれは教育云々というお話ではなく、おそらく日常的に文章のやり取りをしている人間というのは、人類全体の割合からいえば決して多くはないのだ、ということなのではないかと思います。
日本における識字率は100%ですが、これは文章を読んで意味を把握できる、自分の気持ちを言語化して論理展開が出来るということとは一致しません。
つまり、そうした方たちは従来の文字という手段だけでは十分なコミュニケーションを取ることがが出来ていなかったのです。
これは人類の誕生以来ずっと続いてきていたことです。これからも続きます。
そうした方たちにとって絵でのコミュニケーションは古代より有用であったかもしれません。
しかしながら、絵をいちいち書くという作業はあまりにも非現実的です。
そんな中、ボタン一つで絵が出るEmojiはコミュニケーションにおける革命的な要素だったのです。Emojiの登場によって、文章を書くのが苦手な方でも容易に自分の気持ちを伝えることが出来るようになったのです。
私はこれはとても素晴らしいことだと思います。
すべての人が自分の気持ちを言語化し、論理的な文章展開ができなければいけないというのはインテリのエゴでしかなく、どんな方たちでもコミュニケーションの取れる世界が実現されることは、全ての人々にとっての幸福だと思います。
Emojiは偉大です。本当にそう思います。
絵文字には敬語がありません。ペコペコしているやつはありますが。
その結果、コミュニケーションがフラットに行えるというのが絵文字がよく使われている理由とも考えられています。たしかに、男言葉で年配の男性がふんぞりかえっているよりは圧の無い親しみやすいコミュニケーションを促進してくれそうです。
もちろん、副作用としてこういう絵文字の暴力みたいなのもありますが。
私もTwitterでやり取りさせて頂いている方は、上は60代の方から下は中学生の方まで。四六時中絵文字を使っているわけでもなく、ゲームと言う趣味で繋がっているという面は大きいものの、絵文字がこうした世代間のコミュニケーションを促進してくれている面は大いにあるのかと思っています。
・言葉より絵のほうが分かりやすい
これは今まさに発生している循環です。
つまり、ピザと書くより🍕と書いた方が伝わるということですね。
文字よりも絵の方が圧倒的に伝わる力が強いのです。
そして私がいまこの🍕を入力できているのも、WindowsにEmojiが標準搭載されているからこそ。文字化けもしません。
前述のユーザーニーズとテクノロジーの好循環が巻き起こっており、最初はEmojiに慣れていなかった方々までも、今ではすっかり絵の方が分かりやすいという状況になっているのです。
・絵と言葉が等価に扱われる時代が既に始まっている
これら3つはEmojiにおける特徴を述べた仮説ですが、本書が書かれた2017年当時と比べてSNS技術は比較にならないほど発展しました。
(この本はまだSnapchatやSnowがどうとか書かれている時期のものです。)
2021年の現在となっては、Emojiについて述べたこれらの仮説が写真や動画にそのまま当てはまると言って差し支えないでしょう。
すなわち
写真や動画にリテラシーは必要なく、
写真や動画に敬語はなく、
写真や動画は文字よりも伝わりやすい のです。
これを踏まえて次の文章を読んでいきます。
こちらが今回の記事のタイトルにもある「絵文一致」について述べられている文章です。
見事に当を得た言葉で、はっとさせられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私はそうでした。
どこどこへ行った、とか日常的な会話をするだけでも、写真を見せながらコミュニケーションをしたり、何なら写真を送るだけで済ませることはとてもよくあります。
Instagramのストーリーズもそうですし、Twitterなんて丸ごとそうです。
そういえば画像のみを投稿する機能を強化するようにTwitterも動いていますが、あれこそまさにビジュアルコミュニケーションがますます定着化していることを表しているのではないかと思います。
SNSの登場以降、世の中にインフルエンサーがとても増えました。
これはビジュアルコミュニケーションの隆盛と無関係ではないでしょう。
即ち、これまでは世の中に何かを発信したいということであれば文字や喋りや芸術作品で発信するしかなかった、そんな状況が一変し簡単にビジュアルでの発信をすることが出来るようになったのです。
わたしはTwitterを最初期から利用していますが、画像投稿機能がTwitter自体につく前からついっぷるフォトなど拡張画像サービスは流行していました。
もしInstagramやTwitterが完全に文字でのやり取りしか行うことが出来ないSNSであれば、これほどまでに情報発信の担い手、インフルエンサーは果たして増えたでしょうか。
そしてYouTubeは言うまでもありません。好きなことで生きていく、そんなことが出来るようになったのはビジュアルコミュニケーションが発達したからこそなのです。
仮に文章を書ける能力が簡単に身に付いたとて、受け取る側の文章を読める人の人数は動画を見られる人数よりずっと小さいのです。
3日前から始めた私の15秒動画もあっという間に再生回数3,000回を超え、2ヶ月やってきたブログのアクセス数を抜いてしまいました。
そしてYouTubeをみれば100万回を超える再生回数の動画はざらにあります。
100万部読まれる書籍がどれほどあるでしょうか。
それほどまでに、動画を楽しみたいと考える人の人数は多いのです。
・ビジュアルコミュニケーションの未来
これによる弊害はもちろんあります。
文章を読めなければ触れずに済んだ情報にあたってしまい、詐欺の被害に遭ったりする人も残念ながら増えてしまうでしょう。私の身近にもあります。
伝える能力が非常に強いだけに、見ただけで分かった気になってしまうのもビジュアルコミュニケーションの恐ろしさなのです。
しかしながら絵文一致、ビジュアルコミュニケーションの進化が巻き起こす本質的な変化は
「受け取り手が非常に多い分野(ビジュアル)での、情報発信の敷居の低下とそれによる発信者の大幅な増加」だと私は思います。
お互いのコミュニケーションが活性化され、そして発信者が増えることは新しい文化が生まれていくことに繋がります。
2020年代にはこれまででは考えられなかったようなたくさんの変化が起こり、そして世の中がもっともっと面白く、そして一人ひとりの人間がより豊かになってくれることをビジュアルコミュニケーションが実現していくと私は信じています。
テクノロジーの進化に感謝しながら、今日も楽しく写真動画をSNSに投稿していきましょう📸📹
ゴールデンウィークも7日目。見事に連休ボケしています。
きょうも朝6時に目が覚めたのですが、健康的とはいえ昼寝ができる連休だからこそ。
完全に夏休みキッズの体内時計です。
さらに連休状態に拍車をかけたのがYouTubeです。
おとといのPS版遊戯王の記事で書かせて頂いた「なぜかYouTubeの動画がアメリカ人青年男性に何百回も閲覧されている件」以降昨日の夜から、YouTubeにVlog的に動画をアップロードすることがちょっとしたマイブームに。
※おそらく世界トップクラスに中身のないYoutubeチャンネル(基本的にぜんぶ15秒動画です)
その結果、何の気なしにアップロードした「スーパーマリオ64のやみにとけるどうくつで滑り落ちるだけ」の動画が一晩で1,300再生を超えてしまいました。
しかもマリオにちなんでか、なぜか64件の高評価に加えて大量のコメントが。
なんでduckでgooseでSwanなのかまったく意味が分かりません。
Why American people?!
とはいえ、なぜか10人ものチャンネル登録を北米大陸から頂いたので、期待に応えねばと手元にある動画を適当に上げていたらいつの間にか50件を超えていました。上げすぎだよ自分。
そんなことをしているうち、ますます頭がゴールデンウィークになっていったのです。
- 昨今のSNSにおけるビジュアルコミュニケーションの隆盛
さて、こんなステータス異常:連休状態では、明日から始まる7連休明けの地獄の2日間を乗り切ることが出来ません。
そんな日は読書をして意識をお仕事の高さへもっていくに限ります。
そんなわけで本日読んだのが「#シェアしたがる心理 #SNSの情報環境を読み解く7つの視点(天野彬 著)」という本です。
出版されたのは2017年ですが全く古さを感じさせません。
トレンドを追うマーケティングの本というよりは、SNSの登場によって変化する人間のコミュニケーションそのもの、認識そのものに着目した本です。
とくにBtoCマーケティングに関わる皆さま、SNSで発信活動を行われている皆さまにはぜひご一読いただきたい書籍です。とても思考の整理を助けてくれると思います。
前書きには、この書籍で論じられる「ビジュアルコミュニケーション」の領域についてこう述べられています。
SNSは私たちの情報行動、ライフスタイル、そして価値観までも一変させてしまった。
そのSNS上でのコミュニケーションが写真や動画中心になってきている。
本書は、それをビジュアルコミュニケーションの実践と捉えつつ、ユーザーの情報行動がどう変わっているのか、そして「シェア」がいかに重要になってきているのかを筆者が携わった調査結果をベースに論じるものだ。
いわば筆者なりの、メディア研究+消費者行動論の最新のアップデートの試みという位置づけである。SNSというものの長年の一ユーザーとして、そして一人のメディアリサーチャーとして、そうした変化の現時点におけるスケッチを試みることでそのインパクトのほどを測りたいと思う。(p12,天野,宣伝会議,2017)
本書はビジュアルコミュニケーションについての書籍だから、この言葉をはじめに定義しておく必要がある。
一般的には文字やサイン、標識のようなものも含む広義の意味にわたるが、本書ではこの言葉を“スマートフォンのアプリケーションを通じた「写真や動画などによる意思疎通のやりとり」”と定義的に捉えている。
ある説によれば、文字に比べ、写真は7倍もの情報を伝えられるという。
視覚中心の情報のやりとりを行う現在のウェブにおいては、通信環境の向上とともにこうした伝達方法(=ビジュアルコミュニケーション)が選択されるのは自然なことだと言えるかもしれない。(p14,天野,宣伝会議,2017)
携帯電話にカメラがついてからは、ずいぶんと長い時間が経ちました。
たしか、アラサーな私の高校社会科の資料集にも、FOMAとカメラ付き携帯電話が「歴史の上での大きな転換点としての技術」として取り上げられていた気がします。すでに歴史と言われる領域になっています。
当時パケホーダイやダブル定額などのプランを駆使しながら、Eメールでの写真のやり取りを経験された方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
その後、“スマホの普及や、それに付随するカメラの技術的スペックの向上、アプリの充実といった情報テクノロジー側の発展と、感覚的で手軽なビジュアル要素を活用しSNSでシェアしたいというユーザーニーズとが相関的に共進化していく構造”(p35,天野,宣伝会議,2017)の中で、写真や映像によるコミュニケーションは発展していきました。
私たちの「これがしたい」であるユーザーニーズと、それを叶えるテクノロジー。
現在のビジュアルコミュニケーションの最盛期はこうした好循環によって確立されています。
そしてこの回り始めた巨大で強固な歯車は不可逆的なものであり、ビジュアルコミュニケーションは短期的には収束しないようなトレンドと考えられています。
- 世界中で普及したEmoji(絵文字)
すでにスマートフォンだけでなくWindowsPCでも標準で入力が可能になっています。お疑いの方は、「Windowsキー」と「.(ピリオド)」キーを同時に押してみてください。絵文字パレットが開くはずです。
Emojiは携帯電話の登場以前には存在しない文字でした。
現在は世界中で爆発的に普及をしていますが、なぜこのような流行を起こすことができていたかの要因として、次の理由が考えられます。
まず第一に、Emojiには文章を読んだり組み立てたり...といったリテラシーは求められないということ。コミュニケーションの敷居を下げて間口を広げる効果を有するという点では、今後こうしたコミュニケーションの担い手は増えていくことが予想される。
現に、アメリカで流行している理由に、多言語・多文化な社会環境の中でリテラシーの高低にかかわらないコミュニケーションを担保できるというメリットが挙げられている。
Emojiそのものの持っている機能性に着目した視点だ。(p40,天野,宣伝会議,2017)
この仮説にはとても共感します。
比較的文字でのコミュニケーションが行われるSNSであるTwitterやYahoo!ニュースのコメントを見ていても、文章が読めない・書けない人が非常に多い。
文字を読み文章として頭の中で飲み込んで、言わんとすることを論理的に処理するという一連の流れが出来ていない方がこれほどまでにいるものなのかと驚かされます。
しかしながらこれは教育云々というお話ではなく、おそらく日常的に文章のやり取りをしている人間というのは、人類全体の割合からいえば決して多くはないのだ、ということなのではないかと思います。
日本における識字率は100%ですが、これは文章を読んで意味を把握できる、自分の気持ちを言語化して論理展開が出来るということとは一致しません。
つまり、そうした方たちは従来の文字という手段だけでは十分なコミュニケーションを取ることがが出来ていなかったのです。
これは人類の誕生以来ずっと続いてきていたことです。これからも続きます。
そうした方たちにとって絵でのコミュニケーションは古代より有用であったかもしれません。
しかしながら、絵をいちいち書くという作業はあまりにも非現実的です。
そんな中、ボタン一つで絵が出るEmojiはコミュニケーションにおける革命的な要素だったのです。Emojiの登場によって、文章を書くのが苦手な方でも容易に自分の気持ちを伝えることが出来るようになったのです。
私はこれはとても素晴らしいことだと思います。
すべての人が自分の気持ちを言語化し、論理的な文章展開ができなければいけないというのはインテリのエゴでしかなく、どんな方たちでもコミュニケーションの取れる世界が実現されることは、全ての人々にとっての幸福だと思います。
Emojiは偉大です。本当にそう思います。
- Emoji(絵文字)には敬語がない
第二に、Emojiはフラットで、その結果として親しみのあるコミュニケーション手段が実現できるということ。
どんな言語にも多かれ少なかれ敬意表現が埋め込まれており、関係性の上下を潜在的に示してしまうことがあるが、現代は多くのユーザーがスマートフォンを所有し、ソーシャルメディア上で共通のコミュニケーション・プラットフォームに乗って日々やりとりしている現状を鑑みるに、フラットに通じる新しいコミュニケーションの手段が要請されていると考えることもできる。
そのような背景を踏まえて、歴史上ここまで世代間の情報圏が重なり合っている時代はなかったと指摘するマーケターもいるほどだ。(p40,天野,宣伝会議,2017)
絵文字には敬語がありません。ペコペコしているやつはありますが。
その結果、コミュニケーションがフラットに行えるというのが絵文字がよく使われている理由とも考えられています。たしかに、男言葉で年配の男性がふんぞりかえっているよりは圧の無い親しみやすいコミュニケーションを促進してくれそうです。
もちろん、副作用としてこういう絵文字の暴力みたいなのもありますが。
私もTwitterでやり取りさせて頂いている方は、上は60代の方から下は中学生の方まで。四六時中絵文字を使っているわけでもなく、ゲームと言う趣味で繋がっているという面は大きいものの、絵文字がこうした世代間のコミュニケーションを促進してくれている面は大いにあるのかと思っています。
・言葉より絵のほうが分かりやすい
最後に三点目として、ピザからカーリーヘア、そしてコンドームに至るまであらゆる対象をカジュアルにコミュニケーションツール化できるその使い勝手の良さを挙げることができる。
(略)
またここから、日本で流行しているLINEなどのメッセンジャーアプリ、さまざまなブランドがコミュニケーションツール化された「スタンプ」に比較の視点が向くのも自然の成り行きだ。
根本的な変化は同根のものであり、私たちは言葉による説明よりも、直接それを見せたやりとりしたりするようなビジュアルコミュニケーションの情報世界に既に慣れ始めていることを示唆する。(p41-42,天野,宣伝会議,2017)
これは今まさに発生している循環です。
つまり、ピザと書くより🍕と書いた方が伝わるということですね。
文字よりも絵の方が圧倒的に伝わる力が強いのです。
そして私がいまこの🍕を入力できているのも、WindowsにEmojiが標準搭載されているからこそ。文字化けもしません。
前述のユーザーニーズとテクノロジーの好循環が巻き起こっており、最初はEmojiに慣れていなかった方々までも、今ではすっかり絵の方が分かりやすいという状況になっているのです。
・絵と言葉が等価に扱われる時代が既に始まっている
これら3つはEmojiにおける特徴を述べた仮説ですが、本書が書かれた2017年当時と比べてSNS技術は比較にならないほど発展しました。
(この本はまだSnapchatやSnowがどうとか書かれている時期のものです。)
2021年の現在となっては、Emojiについて述べたこれらの仮説が写真や動画にそのまま当てはまると言って差し支えないでしょう。
すなわち
写真や動画にリテラシーは必要なく、
写真や動画に敬語はなく、
写真や動画は文字よりも伝わりやすい のです。
これを踏まえて次の文章を読んでいきます。
――以上の議論をラップアップすることで、スマホユーザーにとってはEmojiというビジュアルを通したコミュニケーションが、これまでは言葉を介してやりとりされていた領域を侵食し始めている側面が指摘できる。
かつてしゃべり言葉と書き言葉とを一致させた明治時代の「言文一致」にヒントを得るならば、これは絵と言葉が等価に使われていく「絵文一致」という現象として捉えられるのではないだろうか。
(略)
明治時代に、二葉亭四迷が先導ししゃべり言葉と書き言葉を一致させた「言文一致」の動きがあり、そこを起点に、新たな文化的ムーブメントを形成していったという歴史が日本にはある。
それまで分離していた書き言葉と話し言葉とを同様に扱うようにしたことで、リテラシーのハードルが下がり、文学作品の受け手も、そしてそれに引っ張られるように書き手(発信者)の数も増加していったのだった。
ここから着想を得るとすれば、いま起こっている現象は、
絵と文字が一致していくという意味で「絵文一致」と呼べるような、新しいコミュニケーションの統合のかたちと新たな発信者の姿ではないかと思える。
「いま渋谷にいるよ」とテキストで送る代わりに、「駅前で撮ったセルフィ―をシェアする」ということ。楽しかった思い出を文章でまとめるのではなく、写真や動画のかたちでシェアすること。
そうしたことが今後もより頻繁に起こっていき、文字が果たしていたコミュニケーション上の機能をビジュアル的なやりとりが置き換えていく。
言文一致の事例から分かることは、コミュニケーションツールの発明は、新しい発信者と文化を開拓するということだった。(p42-44,天野,宣伝会議,2017)
こちらが今回の記事のタイトルにもある「絵文一致」について述べられている文章です。
見事に当を得た言葉で、はっとさせられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私はそうでした。
どこどこへ行った、とか日常的な会話をするだけでも、写真を見せながらコミュニケーションをしたり、何なら写真を送るだけで済ませることはとてもよくあります。
Instagramのストーリーズもそうですし、Twitterなんて丸ごとそうです。
そういえば画像のみを投稿する機能を強化するようにTwitterも動いていますが、あれこそまさにビジュアルコミュニケーションがますます定着化していることを表しているのではないかと思います。
SNSの登場以降、世の中にインフルエンサーがとても増えました。
これはビジュアルコミュニケーションの隆盛と無関係ではないでしょう。
即ち、これまでは世の中に何かを発信したいということであれば文字や喋りや芸術作品で発信するしかなかった、そんな状況が一変し簡単にビジュアルでの発信をすることが出来るようになったのです。
わたしはTwitterを最初期から利用していますが、画像投稿機能がTwitter自体につく前からついっぷるフォトなど拡張画像サービスは流行していました。
もしInstagramやTwitterが完全に文字でのやり取りしか行うことが出来ないSNSであれば、これほどまでに情報発信の担い手、インフルエンサーは果たして増えたでしょうか。
そしてYouTubeは言うまでもありません。好きなことで生きていく、そんなことが出来るようになったのはビジュアルコミュニケーションが発達したからこそなのです。
仮に文章を書ける能力が簡単に身に付いたとて、受け取る側の文章を読める人の人数は動画を見られる人数よりずっと小さいのです。
3日前から始めた私の15秒動画もあっという間に再生回数3,000回を超え、2ヶ月やってきたブログのアクセス数を抜いてしまいました。
そしてYouTubeをみれば100万回を超える再生回数の動画はざらにあります。
100万部読まれる書籍がどれほどあるでしょうか。
それほどまでに、動画を楽しみたいと考える人の人数は多いのです。
・ビジュアルコミュニケーションの未来
これによる弊害はもちろんあります。
文章を読めなければ触れずに済んだ情報にあたってしまい、詐欺の被害に遭ったりする人も残念ながら増えてしまうでしょう。私の身近にもあります。
伝える能力が非常に強いだけに、見ただけで分かった気になってしまうのもビジュアルコミュニケーションの恐ろしさなのです。
しかしながら絵文一致、ビジュアルコミュニケーションの進化が巻き起こす本質的な変化は
「受け取り手が非常に多い分野(ビジュアル)での、情報発信の敷居の低下とそれによる発信者の大幅な増加」だと私は思います。
お互いのコミュニケーションが活性化され、そして発信者が増えることは新しい文化が生まれていくことに繋がります。
2020年代にはこれまででは考えられなかったようなたくさんの変化が起こり、そして世の中がもっともっと面白く、そして一人ひとりの人間がより豊かになってくれることをビジュアルコミュニケーションが実現していくと私は信じています。
テクノロジーの進化に感謝しながら、今日も楽しく写真動画をSNSに投稿していきましょう📸📹